ヲタを辞めよう!

解散!そしてヲタクたちは・・・

私は2007年〜2012年まで「おたく」を経験しました。それ以降は、ここで起きていたことをまとめておたくの世界を文章化する活動をしております。今回は、私自身の経験と実際に辞めることができた知り合いのエピソードを織り交ぜながら「ヲタ卒するにはどうしたらいいのか」 を考えていきます。

アイドルには誰にも始まりがあり、終わりがあります。
そして一つのアイドルグループの始まりから終わりまでを追いかけたヲタクは少なくありません。
私自身がそうでした。

SDN48

2009年8月10日。

AKB48のメンバーの一部が、新しくできた姉妹グループ「SDN48」のメンバーとして動き出すのでした。

結成が発表された当時のスポーツ新聞には大きく「AKB48」と同じくらいの文字の大きさで「18禁アダルトショー」と書かれていました。

特徴としては、AKB48のお姉さんバージョンという位置付けで、AKB48劇場を拠点とし、メンバーの年齢が20歳以上で年齢上限はありません。

当時AKB48を語る上で議論となっていた「恋愛禁止」は制限されず、その証拠にメンバーの中に既婚者がいたほどでした。「18禁アダルトショー」と謳われたこともあり、公演を観覧できる人(ヲタ)は18歳以上となっていました。

この時同じくAKB48から「配転」された大堀恵さん、野呂佳代さん、浦野一美さんをはじめ、私は推しメン以外他のメンバーとの面識はありませんでした。

ただ、推しメンがいたから。そして原則週末しか動くことができなかったから。

新天地は私にとって”合っていた”のです。

SDN48の公演は原則土曜日の20:30〜始まりましたが、公演終わりに必ずメンバー全員とハイタッチをすることができました。週1回の公演につき一言話せるかどうかで終わる一瞬のやり取りを絶対成功させるという気持ちでヲタ活をしました。

公演の形式は、AKB48やSKE48と同じく2時間弱の長さでMCを挟みながら十数曲のセットリスト。
SDN48の公演でしか見れないパフォーマンスが「誘惑のガーター」。推しメンの右足にはガーターベルトが付いており、曲の最後にそのベルトを客席に向かって投げる演出があったのです。

ある日の公演で私は運良くAKB48劇場の最前列に座ることができました。推しメンがガーターベルトを外して右手でクルクル回し、客席へ・・・

私のほうへ真っすぐ投げられたかに見えたガーターベルトは変化球のように右へそれました!

私は思いきり手を伸ばしたところ、今度はガーターベルトがストンと足元に落ちていきました。

「他のヲタに取られたか!?」

両手でガーターベルトを押さえようとしましたが、掴んだかどうか感触がありません。

ゆっくり両手を離すと、ピンクのリボンが付いたガーターベルトが入っていたのです!

・・・とまぁ、こんなことで盛り上がれたのがSDN48だったのです。

アイドルが終わった日

そんな日々に突然終わりが訪れたのが2012年3月のこと。

SDN48は解散したのです。当時は「全員卒業」と発表されました。

AKB48そのものは黄金期を迎え、SKE48、NMB48、HKT48という「支店」が活況を見せグループの規模が巨大化していく中、「なぜSDNだけが?」「運営は全員卒業と称して全員クビにするのか!?」というヲタの会話を耳にしました。

2012年3月31日。

NHKホール。
SDN48を応援してきたヲタクと大きな会場で同じ公演を見たあと、泣いたか喜んだかわからない状態で打ち上げに行きました。

私はこれまでの楽しくもツラいヲタ生活に区切りをつける日と決めていました。
渋谷区宇田川町にてヲタ友たちとの居酒屋感想戦。

みんなも終わるだろうな・・・と思って見たあるヲタ友の口から、意外な言葉が飛び出したのです。

「次は乃木坂46に行こう!」

タイミングが良いのか悪いのか、この年の夏に「乃木坂46」がデビューしたのです。
前情報をガッチリ掴んでいたヲタは「アイドルの始まり」を追いかけることを選び、永遠に終わらないヲタ活に邁進していったのでした。

一方他のヲタ友は、AKB48へ戻る人もいれば、地下アイドルへ”潜った”人もいました。

私が解散した夜に居酒屋で一緒に飲んだ10名ほどのヲタのうち、少なくとも7名はヲタ卒しなかったのです。

「彼らと会うために、ヲタを続けるしかないのか・・・」

でも推しメンは卒業し、もう十分。

ここから変わりたい気持ちが強かったため、もう会えないことを覚悟して私はヲタ卒しました。

アイドルが終わった日。

それはヲタにとってもひとつの分岐点となった日でした。