ヲタを辞めよう!

病気持ちでもヲタ活に頼るしかなかった男の話

私は2007年〜2012年まで「おたく」を経験しました。それ以降は、ここで起きていたことをまとめておたくの世界を文章化する活動をしております。今回は、私自身の経験と知り合いのエピソードを織り交ぜながら「それでもヲタを続ける状況に陥った方の人生」を紹介します。

自分の仲間内にいたKさん(仮名)は、指原莉乃さんがAKB48研究生だった当初から地元の北陸から毎月の様に新幹線で通ってくるほど、熱烈なファンでした。大学に通いながら北陸と東京を繰り返し往復し、東京住みと勘違いするほどでした。

彼は当然頻繁に往き来するため、費用は膨大にかかり次第に資金難に陥りました。始めはバイト代でなんとか食い繋いでいましたが、段々行き詰まる事に。そこで彼が取った行動は、自分にとって必要な処方薬を切り詰めてそのお金を資金に充てる事でした。

実は彼は幼い頃から糖尿病を患っており、地元では暫く入退院を繰り返していたほど病は重かったようです。

自分が初めてKさんと会った時の印象は、熱心な「遠方ヲタ」の1人に過ぎませんでした。そんなKさんも大学卒業・就職を機に憧れの東京で一人暮らしを始め、新生活をスタートさせました。

社会人になりヲタ活が加速していった2010年の暮れ、初めて自分達に苦しい胸の内を明かすことになりました。

「「ホントつらかった
今でもそりゃ辛いんですけど
正直、何度死にたいと思ったかわかりません」

しかしこの時、なぜ辛かったかという本当の理由が明かされることはありませんでした。彼が病気を患っていることを知ることなく、交流は続いていったのです。

「剥がし緩いwAKBの個別の倍近くいけんじゃね?w」

※剥がし・・・握手会で制限時間が過ぎたら係員に剥がされて強制終了されること

やがて、KさんはAKB48からアイドリング!!!に推し変しました。アイドリング!!!の握手会イベントはAKB48のそれに比べて長く会話ができることから、彼にとっては楽しい場所を見つけたようです。

さらにイベントの無い日はメイドカフェに通いこむなど、服用しなければならない薬を摂らずに、そのお金で自分のしたいことを続けていました。メイドカフェに通った回数は合計で400回を超えました。特典をもらうために500回通うことを目指していた彼は、ますますお金を使い込むようになり、破産寸前に陥りました。

そんな生活を続けていたKさんですが、2011年4月に入りパタリと連絡が途絶えてしまいました。

そして同年5月のある日、Kさんの家族から自分のところへ1本の電話が入りました。都内のアパートの自室で、糖尿病による風邪の合併症により亡くなったという連絡でした。

しばらく言葉が出ませんでした・・・まだ冗談だと信じたかった自分は、Kさんの携帯へメールを打ちました。

「お久しぶりー!最近なかなかそちらに行けなかったけど元気?また秋葉で遊ぼうねー!」

そのメールが返信されることはありませんでした。享年24歳。早すぎる死でした。

お金を手にする代償があまりにも大きすぎる、そんな話です。

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Kさんは私の知り合いのヲタでした。「最後までヲタを貫いた」という言い方ができると思いますが、見方を変えれば、現実を直視できずに逃避し続けた果ての壮絶な死でした。2011年5月といえば、東日本大震災が発生してまだ間もない頃。そこに飛び込んできたKさんの訃報は、驚くばかりでした。

Kさんがどのような心境であったかということを答えられる人はいませんが、アイドルの現場に通い続けなければ、人生を楽しくすることはできなかったのかもしれません。

今回寄稿いただいた方には、大変感謝申し上げます。