ヲタを辞めよう!

SKE48の誕生で新たなヲタ競争が勃発した!

私は2007年〜2012年まで「おたく」を経験しました。それ以降は、ここで起きていたことをまとめておたくの世界を文章化する活動をしております。今回は、AKB48グループ最初の姉妹グループとして誕生した「SKE48劇場」について取り上げます。

雨の野音コンサートから始まった

2008年8月23日。

東京・日比谷野外音楽堂で行われた「ライブDVDは出るだろうけど、やっぱり生に限るぜ!AKB48夏祭り」を観戦しました。この日は小雨が降り続いていました。。。

私は学生時代の後輩のR君たちと会い、公園内の屋台で缶ビールを買って飲んでました。昼間っからかなりハイテンションでした。

野音の入場口にならぶ列が長く感じました。野音の客席では傘が使えないため私は雨具を着用しましたが、中には雨具が無く、ずぶ濡れ覚悟で観戦するヲタもいました。

この当時のAKB48はチームA、チームK、チームBという3チーム制度となっていて、それぞれのチームの代表曲が披露されました。また、チームAとKの混合チーム「ひまわり組」による曲も組まれていました。

そのあとも曲が続き、最後の「桜の花びらたち」という曲では客席一面とピンクのサイリウムが振られたのです。
実は当時ヲタ界隈で使われていたSNSであるmixi上のコミュニティでは「このサイリウムを振りましょう!」という呼びかけがあり、それを受けヲタ同士が連携した形でした。

この時AKB48が大ブレイクを果たすきっかけとなる発表がありました。1つはレコード会社を移籍して新しいシングル「大声ダイヤモンド」をリリースすることになったのです。

もう1つは、この野音公演のアンコール明けにSKE48が登場し「PARTYが始まるよ」を披露しました。このときは全体的に「フレッシュなグループ」「AKB48の妹分」という印象しか持てませんでした。まさかこの中から大声ダイヤモンドのセンターを務めるメンバーが出てくるとは、当時のヲタは誰も予想していなかったのです。

しかし、ガチヲタであるほど出費が増えていくことは容易に予想できました。

名古屋のど真ん中にできたヲタ空間

2008年9月13日。

SKE48が誕生する直前のイベントが、名古屋・栄で行われました。AKB48の混合グループ「ひまわり組」がSUNSHINE STUDIO(現・SKE48劇場)でひまわり組2nd公演「夢を死なせるわけにはいかない」が行われたのです。秋葉原で行われている公演のいわば「出張公演」に近かったのですが、これもSKE48を盛り上げるための企画だったように感じます。

SUNSHINE STUDIOがあった「サンシャイン栄」は観覧車があり、TSUTAYAがあり・・・の複合施設ですが、当時のAKB48劇場のような専用劇場ではありませんでした。加えてAKB48劇場のようなロビーも存在せず、施設の地下にあたる「グランドキャニオン広場」という場所がその後のヲタの憩いの場となっていったのです。

↑2008年当時のグランドキャニオン広場の様子です。名古屋の繁華街・栄のど真ん中にあるヲタたちの溜まり場。ここで独自の世界が築き上げられたのです。

今では考えられませんが、ここでSKEメンバーが握手会をしていた時期がありました。SKE48の1期生メンバーをはじめ、AKB48からは柏木由紀さんが助っ人として立っていたり・・・AKB大ブレイク後に入ってきたヲタが羨むほど、できたてホヤホヤのSKE48は知名度が低い存在でした。

SKE48も複数のチーム制になることを想定し、1期生メンバーは「チームS」としてデビューしました。その1st STAGEは、AKB48の初期メンバーも行っていた「PARTYが始まるよ」公演でした。つまりセットリストは「おさがり」 なのですが、フレッシュなメンバーたちが行っていたので非常に良く似合う公演でした。

SKE初期を支えていたヲタとは?

私は東京のヲタでも名古屋のヲタでも無かったのですが、名古屋のほうが比較的近いということでSKEにも向かうことになりました。しかしそこにはAKB48劇場で見たことのあるヲタに多く出会いました。

この頃、ヲタ世界を牽引していたのは名古屋在住のAKBヲタや東京在住のAKB強ヲタでした。

名古屋のヲタ

まぁ、地元名古屋(とその近辺)に住んでいるヲタは多いですよね。毎日通えますし(汗)。彼らは「秋葉原まで遠征しなくてもヲタ活できる」という地の利を生かしてネットワークを作っていきました。

女性ヲタも多くて、ある一人のヲタはSKE48などのアイドルに憧れた結果、地元のアイドルグループで活動しはじめた人もいます。

また、友人の友人には「SKE48のオーディションを受けて2次審査まで通った」という方もいらしたようです。2次審査を通る難しさがどのくらいのものかは分かりませんが「名古屋はアイドルの需要が高そうなんだなぁ」というのが栄の現場から伝わってきました。

東京のヲタ

一方「AKB48からサポートメンバーとして移ってきたメンバーを応援したい」という者や「東京以外のヲタ活に新しい可能性を見出したい」という者もいました。

財力のあるヲタは秋葉原と栄を往復していましたし、お金のないヲタも、それなりの方法で栄にやってきていました。しかし地元のヲタとは違い、毎日やってくることはありません。

秋葉原で見たヲタの多くはルールやマナーを遵守していました。名古屋の遠征費を削るため、夜行バスでやってくる者は割と健全です。

ところが「〇〇はTPした」という話が流れることがありました。TPとは突破、つまり改札を突破するキセル乗車を意味します。mixiにはこのようなエピソードを書いていたヲタを目にしたことがありましたが、そのヲタは短期間で現場から姿を現さなくなりました。

関西のヲタ

元SKEメンバーの尾関きはるさんを「爆推し」していたヲタがいて、その方は関西方面からほぼ毎週サンシャイン栄で目撃していました。愛車のクーペで乗り回し「軍団」を形成し、尾関さんがステージに出ていれば誰よりも熱く応援し・・・というヲタでしたが、尾関さん自身が早々に卒業して以降、そのヲタはあまり見かけなくなりました。

このように全国各地のヲタが栄に集結して秋葉原とは一味違った攻防戦が繰り広げられました。

特に当時のSKE48メンバーであった松井玲奈さんと矢神久美さんの最強ヲタ争いが熾烈を極めましたが、これとは別に・・・

オレンジライト軍団

劇場公演中に客席からサイリウムを振り回している人がいました。中でも強烈だったのが「オレンジライト軍団」と呼ばれていた集団です。客席前方に陣取って高輝度のオレンジライトを振り回していたのですが、後方に座っていたヲタはもちろん、ステージ上のメンバーにも迷惑を与えていたことは明らかでした。

この問題が出た直後から一定期間、劇場に入る際、金属探知機が導入されていた時期がありました。SKEヲタの中には怪しい人がいたのです。

 

こうして各メンバーごとのトップヲタ(TO)と呼ばれるヲタが認知されていきましたが、最終的にはどのヲタにも軍配が上がらなかったように思えます。

運営の懐だけが温まり、やがてSKE48に「チームKII(ケーツー)」「チームE」が誕生し、AKB48のように増殖し、SKE48劇場以外にも現場が広がりライトなファンが流入したことでこのような競争も意味がなくなっていったのです。