(C) 2016「君の名は。」製作委員会
毎度おなじみ、Wind.(@wind_kaze)でございます。
映画「君の名は。」が公開後人気になっています。
●新海誠『君の名は。』驚異のハイペースでV2!公開10日で38億円(シネマトゥデイ)
2016年8月26日に全国公開されたこの映画は2週目にして累計興行収入が38億円を超えるハイペースとのこと。今回はそんな「君の名は。」について書いていきたいと思います!
※ネタバレ注意
これ以降は映画の内容が含まれています。
Contents
あらすじ
(C) 2016「君の名は。」製作委員会
1000年ぶりとなる彗星の来訪を一か月後に控えた日本。山深い田舎町に暮らす女子高校生・三葉は憂鬱な毎日を過ごしていた。町長である父の選挙運動に、家系の神社の古き風習。小さく狭い町で、周囲の目が余計に気になる年頃だけに、都会への憧れを強くするばかり。
「来世は東京のイケメン男子にしてくださーい!!!」 そんなある日、自分が男の子になる夢を見る。見覚えのない部屋、見知らぬ友人、目の前に広がるのは東京の街並み。念願だった都会での生活を思いっきり満喫する三葉。
一方、東京で暮らす男子高校生、瀧も、奇妙な夢を見た。行ったこともない山奥の町で、自分が女子高校生になっているのだ。繰り返される不思議な夢。そして、明らかに抜け落ちている、記憶と時間。二人は気付く。
「私/俺たち、入れ替わってる!?」 いく度も入れ替わる身体とその生活に戸惑いながらも、現実を少しずつ受け止める瀧と三葉。残されたお互いのメモを通して、時にケンカし、時に相手の人生を楽しみながら、状況を乗り切っていく。しかし、気持ちが打ち解けてきた矢先、突然入れ替わりが途切れてしまう。入れ替わりながら、同時に自分たちが特別に繋がっていたことに気付いた瀧は、三葉に会いに行こうと決心する。
三葉と瀧は、週2〜3回不定期に体が入れ替わっていました。
異性同士が入れ替わるというストーリーはフィクションの設定として珍しくありませんが、単にこれだけでは終わりませんでした。瀧が東京に住む一方で、三葉が田舎(糸守町・ちょうど岐阜県飛騨地方のあたり)に住んでいるという生活環境の違い、そしてのちにお互いが気づいたのは同年代でありながら時間軸の違いがあったことです。
二人は、不定期に身体と生活環境が入れ替わりました。しかし瀧が住んでいたのは2016年で、三葉が住んでいたのは2013年。
つまり三葉が瀧の身体になったとき、3年後の世界にワープしていたのです。
一方、瀧は三葉の身体で生活しているとき、3年前の世界にいます。
お互いの住む場所で起こった「すれ違い」
3年ずれているので、三葉が瀧のいる東京で顔を合わせても、瀧は三葉のことを知りません。
一方、瀧は三葉の住んでいる場所を見つけましたが、そこは隕石の片割れが衝突して跡形も無く、三葉もこの世にいませんでした(ここで初めて瀧は3年前にタイムスリップしていたことに気づくのです)。
ここまで書いたことをまとめると、以下の図になります。
(C) 2016「君の名は。」製作委員会
1回1回の「すれ違い」にドキドキする展開へ。
瀧と三葉が何度も何度もすれ違うたびに重要な要素となっているのが映画のタイトルにもある「君の名は・・・」です。
2016年の瀧は、もう1度2013年の三葉になれることを願って宮水神社のご神体にあった口嚙み酒を飲み、隕石が落ちる前の糸守町民を救うために奔走します。
そしてご神体を見下ろす山頂で二人が出会ったとき、忘れないようにお互いの名前を書こうとするシーンがありました。
お互いのことは知っている。でも誰なのか思い出せない・・・劇中後半はその部分が軸となって物語が展開されていきます。
「あなたは誰だ」とひたすら考え続ける場面でありながらクドさを感じないのは新海監督の風景描写もさることながらRADWIMPSの音楽によるところも大きいですね。
二人が最終的に出逢ったのは2013年の隕石落下事故から8年経過した2021年の東京。すれ違った線がようやく交わりました。
ここまでをまとめると以下の図になるでしょうか。
(追記)もう1度観て気づいたこと
●三葉が使っていたスマホはiPhone5で、瀧が使っていたのはiPhone6(または6S)。三葉がいた2013年には4.7インチのiPhoneは発売していなかったので瀧が三葉として生活していた糸守町は2016年ではないことは判別できたかも??
●瀧が最初に岐阜へ出かけた際、東海道新幹線の車内では車内放送が流れていたが、流れる車窓は田園風景が広がっていた。「品川、新横浜、名古屋・・・の順に停まります」という車内放送は、東京駅発車前後しか流れないため、現実ではありえないことである。
●2013年の隕石落下前日に三葉が瀧のいる東京を訪れた際に代々木駅構内の様子が映っていたが、2013年当時まだ始まっていなかったJR東日本のキャンペーン「FUN!TOKYO!」のポスターが掲示されていた(下は参考写真)。

(出典:toshifujiwara.blogspot.jp/)
自分が生きるよりも、大切な人が生きているほうが大事。
新海作品といえば脚本に関わらず風景描写の美しさが強く印象に残りますが、本作は大切な人が生きている限り誰なのかを問い続けるというメッセージ性も強く主張されていたように思いました。
最後まで圧倒されましたし、「感動した」で片付けることはできないくらい魅力ある作品に仕上がっていたと思います。
このSF作品が、より多くの人に届くことをいち観客として願っております。